沼沢雄二氏エピソード

Episode01〜グランドスラマー ジーン・サラゼンとともに〜

サラゼンは私にとって「ゴルフの父」というべき存在でした。
ゴルフのある人生の素晴らしさを教わったのです。

1985年にジーン・サラゼンのすすめで渡米し、多くの学びや気づきを得ることが出来、その後のデザインにも多大な影響がありました。
ジーン・サラゼンの精神は私のライフワークの中で生き続けています。

Episode02〜ブリヂストンスポーツ創業者 社長 故山中幸博氏 追想から〜

1985年7月、私は同じく英国は、ロイヤルセントジョージズで行われた全英オープン観戦のため、一路ニューヨークからロンドンに向かっていました。
その頃の私は、アメリカのPGAトーナメントを数多く観戦し、欧米ゴルフ界のさまざまな人々に会い、交友を広める日々を送っていましたが、その時の渡英が、後に大きな意味を持つことになったのです。それは、故山中幸博氏との出会いに始まりました。

トーナメントの最終日、山中さんからディナーのお誘いを受け、その翌日、ロンドンの或るレストランで御馳走に舌鼓を打ち、そのあと本場のスコッチを飲み交わしながらゴルフ談議に花を咲かせました。

話の活況に入ったころのことです。山中さんは突然、やや真剣な面持ちで私の目を見つめながら言われました。
「沼沢君、私はウッドクラブに夢を託しているんだよ。その中でもやはりドライバーです。
世界のゴルフ界で認められる最高のドライバーを作り上げ、多くのゴルファーに提供して、本当のゴルフの素晴らしさを伝えていきたい」
それはまさしく私がその時、心に秘めていた夢でもありました。

私たちは意気投合し、そのまま一夜を語り明かしました。
それから二年後の1987年、その夢の実現のため、山中さんが当時社長を務められていたブリヂストンスポーツと私の業務提携が、夢のクラブ作りの第一歩としてスタートしたのです。

Episode03〜アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンのドライバー〜

1993年、以前から交流のあったマイケル・アーマコスト駐日大使は、41代アメリカ合衆国大統領の任期の終了に伴い、10年余りの役務を終えて米国に帰国することとなりました。
そのため日本の外務省の有志がお金を出し合い、送別の記念品に私の製作したクラブをプレゼントしたのです。

最後の送別コンペの都留カントリークラブで、アーマコスト氏はそのクラブでドラコン賞とベストスコアで優勝を手にし、その喜びも醒めぬまま帰国。ホワイトハウスを表敬訪問し、42代ビル・クリントン大統領への報告の中で、クラブの自慢をしたそうです。するとゴルフ好きのクリントン大統領は「私もほしい」と一言。
アーマコスト氏から私にクラブ制作の依頼があるまで、帰国後、1週間もかかりませんでした。

出来うる限りクリントン大統領のゴルフプレーの情報をいただきながら製作開始。 完成したクラブがクリントン大統領の手に渡るまでには、アメリカ大使館の商務相、CIA、そして日本の外務省とのやり取りで二ヶ月間を要したことをよく覚えています。
製作したクラブはドライバー。パーシモンの「Model 186-3」とチタンの「Model 108Ti」です。

日本版ニューズウィークに掲載された、送られたクラブを持ったクリントン大統領日本版ニューズウィークに掲載された、
送られたクラブを持ったクリントン大統領

クリントン大統領自筆のお礼の手紙クリントン大統領自筆のお礼の手紙

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