沼沢雄二ゴルフ工房について

数々の伝説を生み出した沼沢雄二ゴルフ工房が、新しいステージへ

沼沢雄二は14年間務めた本間ゴルプ製作所を退社後、ゴルフ研究のため米国に滞在。
帰国後、1986年、東京南麻布に「沼沢雄二ゴルフ工房」を開設した。
翌年、ブリヂストンスポーツとクラブデザイナーとして独占契約を締結。本格的なクラブデザインをスタートさせた。

当時、沼沢雄二ゴルフ工房では、世界のプロゴルファーから数多くのクラブの依頼を受けている。
代表的な選手には、ジャンボ尾崎、青木功、高橋勝成、倉本昌弘、尾崎直道、湯原信光、牧野裕、丸山茂樹、横尾要、深堀圭一郎など。海外勢では、グランドスラマー、ジーン・サラゼンを筆頭に、ペイン・スチュワート、 ベン・クレンショー、ラリー・ネルソン、セベ・バレステロス、グレッグ・ノーマン、 ベルンハルト・ランガー、ホセ・マリア・オラサバル、イアン・ウーズナムなど。国内外のトッププロから絶大な信頼を獲得している。

さらに工房の顧客リストには、国内外のトップアマチュアはもとより、世界の著名人が名を連ねている。財界人はもとより、政治家、画家、建築家、作家、音楽家などが数多く訪れ、高級カスタムゴルフクラブを送り出していくこととなる。元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが、沼沢雄二のクラブの熱烈なファンであることも関係筋では逸話となっている。
その頃の沼沢雄二ゴルフ工房は、プロ、アマを問わず、あらゆるジャンルのゴルファーのメッカとして、存在感を放っていたのである。

工房オープン当時、ジーン・サラゼン師と
工房オープン当時、ジーン・サラゼン師と

一方で、工房でのカスタムクラブ製作の活動と同時に、ブリヂストンスポーツの依頼を受け、クラブ作りに最も重要なマスターモデルを製作し、様々なデザインを提供する。
また、ブリヂストンスポーツの職人を引き受け、ハード面、ソフト面の両面から多くのノウハウを供与している。

1990年、三菱マテリアルと共同開発による日本初チタンウッドを考案し、デザインを行う。
これを機に工房では他に先駆けチタンウッドのカスタムクラブを製作、多くのトップゴルファーに支持されている。
その後、ゴルフ界ではウッドクラブはチタン素材へと移行していくこととなる。

1998年、ブリヂストンスポーツより依頼を受け、ブリヂストンスポーツ中高年向けブランド「アクセス」を企画、デサイン。
それまでのクラブ研究の成果により、世界で初めてドライバーのライ角60度を考案。さらには、新設計による超低重心チタン製アイアンを考案。
その飛びと優しさでNHKのゴルフ番組でも取り上げられ、大きな話題を呼び、ブランドとしての成功を遂げるとともに、日本のゴルフ業界においてシ二アのための高級ゴルフクラブビジネスの礎となった。

工房では遡ること1990年頃から「ゴルフのもうひとつのゲーム、パター」の研究を続けており、沼沢雄二のデザイン力への高い評価により、2000年、ドイツ・ダイムラーベンツ社からパターデザインの依頼を受ける。ゴルフクラブとして、世界で初めて「ダイムラーベンツ スリーポインテッドスターマーク」 (ベンツマーク) の装着を許可されたパターをデザインし発表している。
限定200本のパターは、1本290,000円という価格にもかかわらず、わずか1ヶ月で完売。100分の1mm以下の精度で削りだされたこのパターの美しさに、多くのゴルファーが心を奪われた。

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